「上手くなくてもいいのよ。まずは音を出して。音を出さなきゃ音楽は始まらないのよ」
だれかがそう言った。
今、自分自身、たくさんの人やサイトに助けられて仮想通貨トレードを行っているという自信がある。
仮想通貨に最初に興味を持てたことも、取引所という存在を知れたことも、そして取引所を開設して仮想通貨トレードを行う方法が知れたこともすべて、たくさんの方々のおかげである。
少なくとも彼らの作ったサイトが、更新した記事が、紡いだ言葉が、自分の人生を多少なりとも良い方向へと変えた、そう胸を張って言える。
しかし、必ずしもそういう人ばかりではない。
もしかしたら自分の発した情報が原因で悪い方向へと人生が変わるかもしれない。
「アウトプッター(発信者)になる」というのはそういうことなのだ。
「ブロガーという稼ぎ方はどうだろう。仮想通貨を広めることに貢献し、アウトプットすることで自分の頭の中の整理にもつながり、そしてだれかの役にも立つ。あわよくば収入が入るかもしれない。それは素晴らしいことじゃないか。」
そんな思いで最初にこのブログを立ち上げてから約5か月、ありがたくも当ブログはこの記事で86記事目を迎える。これまで1記事たりとも手を抜いたつもりはない。
貴重な時間を削って私のブログに足を運び、記事を読んでくれるあなたのためにも手抜きの記事は一切書けないと思っている。
「ブログ楽しみにしてます!」
わざわざ貴重な時間を割いて読んでくれて、そんな嬉しいことを言ってくれるあなたのために記事を書きたい。
あなたの笑顔に用があるのだ。
もちろん初めのうちは誰が読んでくれるわけでもない。1日の訪問者がゼロ、5人いけば良い方なんてことは当たり前だった。
それでもただただ壊れたロボットのようにひたすら記事を書き続ける。
それから5カ月たった今、気がつけば1日に600人~800人ほどの方が当ブログを訪れてくれている。
「応援クリック押しました^^」、「いつも記事読んでいます!」、「これからも頑張ってください!」
そんな何気ない読者からの一言が、自分に力をくれる。その一言をもらえるだけで記事を書く価値がある。
書き手がいて、読者がいて、反応までもらえる。
ブロガーにとってこれほど嬉しいことはない。
そしてこの度、みなさまの温かい応援のおかげで仮想通貨ブログランキングで1位を取ることができました。
正直、こんなちっぽけなブログがこれほどの評価を受けていることは、分不相応だと自分自身思っていますし、同じように思ってらっしゃる方も多いと思います。遅かれ早かれまた順位は入れ替わることだと思います。
それでも、フォロワーが決して多くはない中、一時的でもこのような結果をいただくというのは本当にありがたいことだと思っています。(間違いなく誰よりも自分が驚いています。)
本当に読者の皆様に感謝です。
今回、1位記念ということで、5か月経って今更ですが自己紹介を兼ねて自分語りをしていきたいと思います。お暇な方のみお付きあいください。
会社を辞めた
私は会社を辞めた。
ブログでは度々言っているがつい最近まで銀行で働いていた。
人や会社に融資をしたり、外国為替を行ったり、資産運用を行ったりしていた。
「本気で仮想通貨に取り組むために会社を辞めた」
そのようにプロフィールとして話すことが多いが、厳密に言えばちょっと違う。
「やりたいと強く思っていることがあり、それを実現させるために今、本気で仮想通貨に取り組んでいる。そのために会社を辞めるという選択を取った。」
と言った方がおそらく正しい。
「銀行員は安定している」
こんなイメージを持っている人も多いのではないだろうか。銀行にもよるところがあるが、働いていた当事者としてもこの認識はだいたい合っていると思う。
仕事は確かに大変だが、土日祝休みで、有休もきちんともらえて(年1回、9~10日間の特別連続休暇がもらえたりする)、福利厚生もしっかりしている。
自分のところは30代半ば辺りで年収が1000万を超える。
人間関係も良かったので、正直言って会社には何の不満も無かった。
それなのになぜ比較的安定した人生が送れる会社を辞めるという決断を取ったのか。
それは、少なくとも「安定」が自分の人生の中で大切な要素では無かったからである。
そう感じるようになったのは自身のこれまでの人生の中である出来事が大きく関わっている。
南米の話
私は昔、南米を旅したことがある。
毎日色んな所に行き、色んな人と触れ合い、1泊500円の宿を探して歩き回った。
時には砂漠のオアシスにたどり着き、
時には線路の上を何時間もかけてひたすら歩き、
時には目の前の絶景にただただ心を奪われた。
そのどれもが私の心を強く刺激していく出来事であったが、その中でも特に私の人生を大きく変えた出来事があり、それはまた、これまでの私の人生で最も強く「死」を覚悟した瞬間でもある。
「デスロード」
それはボリビアにある世界で最も危険と呼ばれる道のことである。
道路の幅はせいぜいバス1台が通れるほど、少し広いところでやっと車2台がギリギリ離合できるほどの道であり、道の外側にはガードレールも一切ついておらず断崖絶壁となっている。
落ちればもちろん待っているのは「死」である。
毎年この道はたくさんの死者を出しており、道のあちらこちらに墓標が立っている。
デスロードをもっと知りたい方はこちら(参考:Naverまとめ 【絶叫】世界最悪の道路「デスロード」)
そしてボリビアにはこのデスロードを自転車で滑走するというなんともクレイジーな遊びがある。
まず標高4700メートルのところまで車で行き、そこから標高1200メートルのところまで自転車で滑走する。その高低差3500メートル。
極端に言えば、富士山のてっぺんから一番下まで自転車で一気に駆け抜けるような感じをイメージしてもらえばいい。ただし一歩間違えればいとも簡単に死んでしまうという点を除いては。
現地の宿で1人の愉快なオーストラリア人と仲良くなった。名をルーカスと言う。
ルーカスからその例の遊びのことを聞き、「こんな面白そうなことはない」と思った私はすぐに「参加」を決意した。
実際にデスロードを目の当たりにすると、その迫力はすごい。道は当然舗装されておらず、大きな石が足元にゴロゴロと転がっており、道はグネグネ、落石アリ、なんでもござれだ。
しかもその日は現地の人でも「今日はヤバイぞ」というくらい最悪の天候だった。霧は大量発生し、雨と風が吹き荒れ、視界は最悪だった。
そんな道を時速30~40キロで滑走していくツアー、間違いなく日本ではありえない。貧困国だからこそ、お金になるものはなんでも商売にしていかないといけない。
「天候が悪いから中止」
ボリビア人の辞書にそんな言葉はない。たとえ天候が悪くてもツアー参加者が死のうとも関係ないのだ。
ツアーは自分らの他にも3~4人の外国人参加者がいたが、みななんともクレイジーそうなやつらばかりだった。
【その時のデスロードの様子】
ルーカスは私を見てニヤリと笑ってこう言った。
「Let’s compete!(競争しようぜ!)」
なんだコイツは。ただでさえ転ばないようにするだけで精いっぱいの道をなんとも「野球しようぜ」的なノリで言っている。白い歯がキラリと光るこの陽気なオーストラリア人は、完全に頭がイッてるとしか思えなかった。
それを聞いてただひとこと。
「Ofcourse(もちろん)」
酒場で酒を勧められて、男がグラスを引くようなマネはできない。
ふっ、悲しき豪州人よ。どうやら君は少々ニッポンのサムライをなめているようだな。
完全に「ヤル気」になった2人は「Let’s go」の合図とともに悪路を爆走する。
抜いては抜かれ、抜かれては抜き、しのぎを削りあう大接戦であった。
ただしレースにおいてどちらが決めたわけでもない、お互いの中に暗黙のルールがあった。
それは、転んだ時、バイクがぶっ飛んだ時はお互いに待ってあげるというルールだ。
ただでさえブレーキが利きづらい傾斜のある砂利道を嵐の中滑走しているわけだから豪快に転びまくる。
そしてその瞬間は突然訪れた。
相手を抜こうとコーナーを攻めた時に、大きな石に乗っかってしまい、私の体がぶっ飛んだ。
身体が宙に舞う最中、自然にこう思ったことを強く覚えている。
「あ、俺死ぬわ。」
気づけば身体は地面にあり、身体の半分はガケに身を乗り出しているものの、ギリギリのところで踏ん張っていた。
ルーカスの方に目を向ける。こちらをニヤニヤと見ながら「ひゅう~♪」とでも言いたげな顔をしている。
「この野郎…(笑)」
すぐにレースを再開し、結局その後何度も転びながらも標高1200メートル下のゴールにたどり着いた。
ちなみにこの陽気なオーストラリア人とのレースには勝った。というより、どちらかと言えば不戦勝に近い。というのもレース後半、ルーカスも私同様に体がぶっ飛び、強く身体を打ち付け、その反動で左手がオシャカになったからである。
(後日聞くには骨折していたらしいが、骨折した腕であの悪路を完走したと考えると本当になんともクレイジーで恐ろしい男である)
この体験により人生で初めてハッキリと「死」を意識させられた。
厳密に言えば、マチュピチュ村の温泉でムキムキのブラジル人ゲイに掘られそうになった時も同じか、もしくはそれ以上に死を覚悟したが、その話はここでは割愛したい。
他にも南米を旅した中で色々と貴重な経験をさせてもらったが、中でもこのデスロードが私の人生に特別大きな影響を与えたことは間違いない。
世の中には「絶対」という言葉はない。
「絶対成功する」、「絶対試合に勝つ」、「絶対やめたほうがいい」
日ごろよく口にする「絶対」という言葉だが、突き詰めると「絶対」という言葉は基本的にあり得ない。
しかしただ一つ、例外として「絶対」と言えることがある。
「人は絶対に死ぬ」
ということだ。
どんな金持ちでも、どんな貧乏でも、どんな人種でも、人である以上絶対に死ぬ。
「どうせ死ぬんだから本当にやりたいこと、挑戦したいことをやって死のう。あの時デスロードで1回死んだと思えば、今この生きてる時間はボーナスタイムだ。」と自然に思うようになった。
就職先に銀行を選んだのは、簡潔に言って「お金」に関する実用的な知識を学ぶためである。当時やりたいことが明確ではなかった私は、将来やりたいことが決まった時に銀行で学んだ知識は必ず役に立つと思った。事実、私は銀行でしか学べないお金のことをたくさん学ぶことができた。
レールを外すという選択
「こんなに安定した会社にはもう入れないよ!失敗するかもしれないよ!」
周りのたくさんの方がそのように言ってくれた。
もちろん安定した会社にいることは素晴らしい、そういう人生を送ることを蔑むつもりは毛頭ない。ただし、私は自身が強くなれば人生はもっと安定することを知っている。
県内一の進学校に入り、良い大学に入り、良い会社に入った。
そのようにして長い間コツコツと整備してきたレールをいとも簡単に外した。
だれでもやりたいことに挑戦したい。しかし、一方で現実はそう簡単な話ではない。
「せっかく苦労して就職したんだから」
「親を悲しませたくない」
「家族を養わなければならない」
ほとんどの人は、そのように人のことを気にかけられる心が優しく素敵な人ばかりだ。
「人を思いやれる」というのは人間に与えられた素敵な感情だ。
しかし、周りのことを考えるあまり、中には自ら命を断ってしまう人も後を絶たない。
苦労して引いたレールほど、取り外すのは難しい。
「こんなに頑張ってレールを引いたのだから、もう今さら他のレールに乗り換えるなんてできないよ。」
自分の中でそう決めてしまうと、たとえそのレールが途中でガタガタになり始めても他のレールへと移ることは出来ない。いや、最終的にはもはや他のレールの存在にすら気付けなくなってしまう。
その結果、限界を迎えた列車は脱輪し、事故を起こしてしまう。
私は自らレールを外し、また新たなレールの上を進んでいる。
私は自身の生き方を通して、今にも限界を迎えそうな脱輪しかけの列車の力になりたいと思っている。他のレールが見えなくなっているのなら、私はそのレールを照らす光となりたい。
「お金を失ったらまた稼げばいい。名誉を失ったらまた作ればいい。しかし命を失ったらすべてが終わる。」
もしかしたらこの記事を読んでいる方の中で、今どうしてもきつくて仕方なくて、脱輪してしまいそうな方がいるかもしれない。前しか見えなくなっているのなら少しだけでもいいから横を見てほしい。そして、私のような列車もあることを知ってほしい。他のレールはもしかしたらすごく進みやすいレールかもしれないことを知ってほしい。
世界はとっても広いから。
「上手くなくてもいいのよ。まずは音を出して。音を出さなきゃ音楽は始まらないのよ」
だれかがそう言った。